あ号作戦
マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん)はマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で1944年6月19日か
ら6月20日にかけて行われたアメリカ海軍空母機動部隊と日本海軍空母機動部隊の海戦。ア
メリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)である。アメリカ軍がマリア
ナ諸島に進攻を行い、それを妨害するために日本軍が迎撃したことにより発生した。日本海
軍がアメリカ軍との決戦を意図したものであり、両軍の空母同士の航空決戦となった。この海
戦に日本軍は大敗し、マリアナ諸島はアメリカ軍が占領することとなった。なお、日本側の作戦
名称はあ号作戦、あはあめりかの「あ」よりきている。

海戦前
1943年後半からアメリカ軍は中部太平洋での攻勢を本格化させ、11月にはギルバート諸島タ
ラワ環礁、マキン環礁を占領、1944年2月にはトラックを空襲すると共にマーシャル諸島へ侵攻
し占領した。さらに3月にはパラオを空襲し在泊艦艇および基地施設に多大な損害を与えた。
そして4月にはニューギニア島のホーランジア、アイタペに上陸した。

この状況を受けて連合艦隊司令部では、5月から6月にマリアナか西カロリン方面への侵攻が
行われると判断した。しかし、タンカー不足によりマリアナ方面での決戦は無理があり、パラオ
近海において決戦を行うこととした。そのためにグアム、サイパン、テニアンの兵力を強化して
敵をパラオ方面へ誘い込み、機動部隊と基地航空隊によって撃破するという作戦を立てた。
この作戦を「あ号作戦」という。

しかしながら、3月31日に起こった海軍乙事件により、「あ号作戦」のもとになる「新Z号作戦」計
画書を米軍が入手し、その暗号を解読していた。米軍は把握した日本海軍の兵力、航空機や
艦船の数、補給能力等の情報をもとに約1ヶ月で作戦を立案した。生存する当事者が公にしな
かったため、日本海軍は「新Z号作戦」計画書が米軍に渡った事を知らなかった。

5月16日、リンガ泊地にあった小沢治三郎中将麾下の第一機動艦隊はタウィタウィ泊地へ進出
した。タウィタウィではアメリカ潜水艦の跳梁により、駆逐艦4隻(6月6日水無月、6月7日早波、
6月8日風雲、6月9日谷風)が撃沈された。このため十分な洋上訓練が行えず、航空機搭乗員
の練度不足はあ号作戦に影響を及ぼした。

5月20日、豊田副武連合艦隊司令長官は「あ号作戦」開始を発令した。同日、小沢治三郎中
将は旗艦大鳳で訓辞を行った。

今次の艦隊決戦に当たっては、我が方の損害を省みず、戦闘を続行する。 
大局上必要と認めた時は、一部の部隊の犠牲としこれを死地に投じても、作戦を強行する。 
旗艦の事故、その他通信連絡思わしからざるときは、各級司令官は宜しく独断専行すべきで
ある。 
5月27日、連合軍はビアク島へ上陸を開始した。日本軍はビアク島救援の作戦、渾作戦を行っ
た。しかし、6月11日、アメリカ軍がマリアナ方面に来襲し、渾作戦は中止された。

6月13日、豊田長官は「あ号作戦」決戦用意を発令した。第一機動艦隊はギマラス泊地に移動
後15日に出撃しマリアナ方面へ向かった。渾作戦参加部隊も出撃し、16日に機動艦隊と合流
した。

6月15日、アメリカ軍はサイパン島へ上陸を開始した。同日、豊田長官はあ号作戦決戦発動を
発令した。たが、基地航空隊はこれまでの戦闘でほぼ壊滅状態になっていた。


戦闘経過

6月19日の戦闘
19日、早朝に索敵機を発進、7時半頃に前衛の部隊から64機と甲部隊から128機の第一次、
第二次攻撃隊を発進させるが甲部隊の攻撃隊は味方の誤射で被害を受けた。双方の攻撃隊
は2時間から3時間の時間をかけて米第58任務部隊に到達。アメリカ海軍はレーダーで日本海
軍の第一次攻撃隊を探知すると、あるだけの戦闘機を投入し、約150機を撃墜した。この攻撃
で防空網をくぐりぬけた機のうち、1機が戦艦サウス・ダコタに突入した他、空母バンカーヒルと
重巡洋艦ミネアポリスに至近弾で損傷させた。

9時15分、乙部隊から第二波の第三次攻撃隊49機、10時15分に第四次攻撃隊50機(それぞれ
誘導機含む)を発進させるが、別働隊と誘導機が進路(目標)変更の受信を逃した上、本隊も
米第58任務部隊を発見できずに引き返し、7機が未帰還となる。第四次攻撃隊は攻撃後にグ
アム島かロタ島経由でヤップ島へ向かうように指示されたが、米艦隊を発見できずにグアム島
付近で戦闘機の迎撃を受け約25機が撃墜された。

8時10分、空母大鳳が米潜水艦アルバコアの雷撃を受け魚雷1本が命中、11時20分には空母
翔鶴も潜水艦カヴァラの雷撃により魚雷4本が命中し、14時10分に沈没。そのすぐ後に大鳳か
ら漏れだしたガソリンに引火して爆発炎上、14時30分に重巡洋艦羽黒に旗艦を移し、大鳳は
17時頃に沈没した。この不沈艦とされた大鳳がたった一発の魚雷で沈没してしまった事実は、
軍首脳に大きな衝撃を与えた。

また、大鳳の修理作業の後、第五次攻撃隊18機(28機の予定だった)が発進したものの、米
第58任務部隊を発見できず、ほとんどが引き返し、一部は不時着、9機が未帰還となった。10
時30分、乙部隊から第六次攻撃隊15機が発進し、本隊8機が13時40分頃に米艦隊を発見、空
母を目標に攻撃した。しかし、戦果を上げられず、6機が撃墜された。

17時10分、小沢中将が立て直しのために北上を命じるまでに6次にわたる攻撃隊を送るが、
米艦隊の艦艇は被害らしい被害を受けずに攻撃隊の大半を撃墜し、空戦で29機の戦闘機損
失に留まる。


6月20日の戦闘
20日の午前、小沢中将は旗艦を羽黒から瑞鶴に移した。米第38任務部隊は15時40分に日本
機動部隊を発見し、16時過ぎになってその戦力を確認、ミッチャー中将は帰還が夜になってし
まうことを覚悟の上で216機の攻撃隊を出撃させた。16時15分には日本軍側も米艦隊を発見
し、17時25分に甲部隊、唯一の空母瑞鶴から7機の雷撃機を発進させ、前衛の栗田中将に夜
戦のため東進を命じた。17時30分、米第58任務部隊から発進した攻撃隊が来襲し、空母飛鷹
が沈没、他の空母瑞鶴、隼鷹、千代田も損傷してしまった。米攻撃隊は20機が撃墜され、帰還
した機のうちの80機が着艦に失敗した。小沢中将は残存空母を率いて夜戦のため東進を続け
たが、19時40分頃、連合艦隊長官の豊田副武大将から離脱が命じられ、21日、小沢中将は
「あ号作戦」を中止し撤退した。

結果
この戦いで機動部隊を率いる小沢治三郎中将は、日本海軍の艦載機の特徴である航続距離
の長さを活かし、アメリカ艦載機の作戦圏外から攻撃部隊を送り出すと言う独自のアウトレン
ジ戦法を採用した。しかしながら、レーダーを活用した戦闘機の迎撃、また近接信管(VT信管
またはVTヒューズ)を使用した対空砲弾幕の増強などにより、日本海軍の攻撃隊は大半が阻
止された。また、空母が相手との距離を縮めないように同じ海域をウロウロしたため次々と敵
潜水艦の餌食となってしまった。ただアウトレンジ戦法で出撃した飛行機の帰りを他の地点で
待つのは出撃した搭乗員としては負担のかかる行為であり、一定の場所に留まるのが妥当な
策である。それと対潜レーダーに搭載される真空管の不調により、対潜装備が満足ではない
駆逐艦が護衛についていたのも要因であり、艦数も不足していた。

そして米軍の進攻目標を読めなかった軍令部も連合艦隊司令部も決戦地はマリアナでなくパ
ラオと判断していたことから、重要兵力である第一航空艦隊の主力をパラオ方面に移動させ、
それはマリアナ戦には何ら寄与しなかった。

日本側はこの戦いで大鳳、翔鶴、飛鷹など空母3隻、航空機約200機を失い、第一機動艦隊は
海上航空戦力としての能力を著しく喪失した。この海戦によって日本の連合艦隊、特に空母部
隊が壊滅的な損害を受け、二度と機動部隊中心の作戦を行う事ができなくなった。又、この後
絶対国防圏の要ともいうべきサイパン島を失ったことは日本の敗戦を決定的にした。しかし、
この海戦で空母と航空機を除いた殆どの艦、特に戦艦・重巡を中心とする水上打撃部隊は、
ほぼ無傷であることから、その後の米軍フィリピン侵攻での、水上部隊によるレイテ湾突入作
戦・捷一号作戦に結びつくのである。


参加兵力

日本軍
第三艦隊 第一機動艦隊(空母5、小型空母4 搭載機零戦225機、彗星艦爆99機、九九艦爆27
機、天山艦攻108機、九七式艦上攻撃機、二式艦上偵察機、498機との説あり)

司令長官:小沢治三郎中将、参謀長:古村啓蔵少将 旗艦:空母大鳳 
本隊・甲部隊 
第一航空戦隊(小沢中将直率) 
空母:大鳳、翔鶴、瑞鶴 
第五戦隊(橋本信太郎少将)重巡:妙高、羽黒 
第十戦隊(木村進少将) 軽巡:能代 
第十駆逐隊:朝雲、(風雲)※風雲は6月8日沈没 
第十七駆逐隊:磯風、浦風、(雪風、谷風)※雪風はタウィタウィで対潜掃討中触礁損傷により
全力発揮不能、補給部隊護衛へ。谷風は6月9日沈没) 
第六十一駆逐隊:初月、若月、秋月 
付属:霜月 
本隊・乙部隊 城島高次少将 
第二航空戦隊 
空母:隼鷹、飛鷹 小型空母:龍鳳 
戦艦:長門、重巡:最上、 
第四駆逐隊(第十戦隊):満潮、野分、山雲 
第二十七駆逐隊(第二水雷戦隊):時雨、五月雨、(白露)※白露は6月15日、味方タンカー清
洋丸と衝突沈没 
第二駆逐隊(第二水雷戦隊):秋霜、早霜(ダバオから補給部隊を護衛した後合流) 
第十七駆逐隊(第十戦隊):浜風(ダバオから補給部隊を護衛した後合流) 
前衛(第二艦隊) 栗田健男中将 
第一戦隊(宇垣纒中将) 
戦艦:大和、武蔵 
第三戦隊(鈴木義尾中将) 
戦艦:金剛、榛名 
第三航空戦隊 
小型空母:瑞鳳、千歳、千代田 
第四戦隊(栗田中将直率) 重巡:愛宕、高雄、鳥海、摩耶 
第七戦隊(白石萬隆少将) 重巡:熊野、鈴谷、利根、筑摩 
第二水雷戦隊(早川幹夫少将) 軽巡:矢矧 
第三十一駆逐隊:長波、朝霜、岸波、沖波 
第三十二駆逐隊:藤波、浜波、玉波、(早波)※早波は6月9日沈没 
付属:島風 
第一補給部隊:速吸、日栄丸、国洋丸、清洋丸、名取(パラオより合流、19日に分離)、夕凪、
初霜、響、栂 
第二補給部隊:玄洋丸、あずさ丸、雪風、卯月、満珠、干珠、三宅、第22号(満珠以下は海防
艦。海防艦はギマラスで待機) 
第一航空艦隊 第五基地航空部隊 角田覚治中将

第二二航空戦隊 
第二三航空戦隊 
第二六航空戦隊 
第六一航空戦隊 
ほとんどヤップ島、グアム島の航空部隊でサイパン島、テニアン島の航空部隊は空襲で壊滅 
守備隊30000人  

アメリカ軍

第5艦隊
司令長官:レイモンド・A・スプルーアンス大将、参謀長:カール・ムーア大佐 旗艦:重巡洋艦イ
ンディアナポリス 
第58任務部隊(空母7、軽空母8 搭載機 戦闘機F6F ヘルキャット443機、戦闘機F4U コルセア
3機、急降下爆撃機SB2C ヘルダイバー174機、急降下爆撃機SBD ドーントレス59機、雷撃機
TBF アヴェンジャー188機、F6F-3N ヘルキャット24機、計891機) 
司令官:マーク・A・ミッチャー中将、参謀長:アーレイ・A・バーク大佐 旗艦:空母レキシントン 
II 
第1機動群(任務群) 司令官:ジョゼフ・J・クラーク少将 
空母:ホーネット II、ヨークタウン II 軽空母:ベロー・ウッド、バターン 
重巡:ボストン、キャンベラ、ボルチモア 防空巡:オークランド、サンファン 駆逐艦14 
第2機動群 司令官:A・E・モンゴメリー少将 
空母:バンカーヒル、 ワスプ II 軽空母:モントレー、カボット 
軽巡:サンタフェ、モービル、ビロクシー 駆逐艦12 
第3機動群 司令官:J・W・リーブス少将 
空母:エンタープライズ、レキシントン II 軽空母:プリンストン、サン・ジャシント 
重巡:インディアナポリス 軽巡:バーミンガム、クリーブランド 防空巡:レノ 駆逐艦13 
第4機動群 司令官:W・K・ハリル少将 
空母:エセックス 軽空母:カウペンス、ラングレー 
軽巡:ビンセンス、マイアミ 防空巡:サンディエゴ 駆逐艦14 
第7機動群 W・A・リー中将 
戦艦:ワシントン、アイオワ、ニュージャージー、サウス・ダコタ、インディアナ、アラバマ、ノース・
カロライナ 
重巡:ニューオーリンズ、ミネアポリス、サンフランシスコ、ウィッチタ 駆逐艦14 
第51任務部隊 司令官:リッチモンド・K・ターナー中将、旗艦:ロッキー・マウント 

海兵隊
司令官:ホーランド・M・スミス海兵中将 
第3海兵師団 
第4海兵師団 
第5海兵師団 

[アメリカ陸軍
第27歩兵師団(増援部隊) 司令官:ラルフ・C・スミス陸軍少将 → スタンフォード・ジャーマン陸
軍少将 → ジョージ・W・グライナー陸軍少将 

損害

日本側
沈没 
空母:大鳳、翔鶴、飛鷹 
油槽船:玄洋丸、清洋丸 
損傷 
戦艦:榛名(小破) 
空母:隼鷹(中破・アイランドの煙突に命中するも、航行に支障無し)、龍鳳(小破)、千代田(小
破)、瑞鶴(500ポンド爆弾を艦橋後部のマスト付近に命中したとしているが乗組員の回想では
被弾無し、至近弾によるスプリンターを直撃弾と勘違いした可能性有り) 
重巡:摩耶(小破) 
油槽艦:速吸(小破) 
損失艦載機 
378機、航空機搭乗員戦死388名

その他 
あ号作戦期間中、36隻の潜水艦がこの周辺海域に指向され20隻が未帰還 
サイパン島における戦闘の損害はサイパンの戦いを参照。 

アメリカ側
損傷 
戦艦:サウス・ダコタ、インディアナ 
空母:バンカーヒル、ワスプ 
重巡:ミネアポリス、ウイチタ 
損失艦載機 
120機(そのうち、約80機は着艦失敗や不時着などで失われた)、戦死101名


注記
^ ただし、この訓辞は、各艦隊の司令部要員クラスにだけに行われた可能性もある。理由とし
ては、653/652/601航空隊の中で生き残った搭乗員たちは、戦後NHKのドキュメンタリー取材
に際し、その様な訓辞は聞いてもいないし、知りもしないと「証言」していることから。その証言
に、信憑性があるか否かは、確かめる術は、もはやない。大戦中、搭乗員の過大な戦果報告
を丸呑みせざる得なかった根本の理由もここにある。 
^ 第六次攻撃隊の彗星隊と第四次攻撃隊の九九艦爆隊の共同攻撃を企図したという証言は
あるが、連絡や指示された証拠はない。 

参考文献
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社、1992年新装版) ISBN 4-7704-0757-2 英題『THE GREAT SEA WAR』 
江戸雄介『激闘マリアナ沖海戦 日米戦争・最後の大海空戦』(光人社NF文庫、2000年) ISBN 
4-7698-2264-2 
奥宮正武『ラバウル海軍航空隊』(学研M文庫、2001年) ISBN 4-05-901045-6 
奥宮正武『真実の太平洋戦争』(PHP文庫、1988年) ISBN 4-569-56383-X 
奥宮正武『太平洋戦争と十人の提督』上、下(学研M文庫、2001年) 
上 ISBN 4-05-901078-2、下 ISBN 4-05-901079-0 
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03242-7 
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ISBN 4-05-401264-7 
佐藤和正『レイテ沖の日米決戦 日本人的発想VS欧米人的発想』(光人社、1988年) ISBN 4-
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佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 51人の艦長が語った勝者の条件』(光人社、1989年) 
ISBN 4-7698-0445-8 
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『写真 太平洋戦争 第四巻』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0416-4 
木俣滋郎『日本空母戦史』(図書出版社、1977年) 
海防艦顕彰会『海防艦戦記』(海防艦顕彰会/原書房、1982年) 
木俣滋郎『日本戦艦戦史』(図書出版社、1983年) 
木俣滋郎『日本水雷戦史』(図書出版社、1986年) 
木俣滋郎『日本海防艦戦史』(図書出版社、1994年) 



 



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